こんにちは。青山予備校の柏原です。
今日は、毎年難関大志望の生徒にこの時期解いてもらっている英文、高校生に伝えたいことを書こうと思います。
出典は2006年京都大学英語です。
テーマは、
「他人からの評価を、どう受け止めるか。」
です。
受験生にも、社会人にも、SNSを使う人にも通じる話だと思います。
結論から言えば、
「2+2=5」を必死に証明しようとしてくる人を、いちいち相手にする必要はない。
今日はそんな話です。
ソクラテスは、悪口を言われても気にしなかった。
本文には、古代ギリシャの哲学者たちが登場します。
ソクラテス。
ディオゲネス。
アンティステネス。
エンペドクレス。
彼らに共通していたのが、
他人からどう評価されるかに、異常なほど振り回されなかったこと。
例えばソクラテス。
市場で悪口を言われているのを見た人が、
「悪口を言われて腹が立たないの?」
と尋ねます。
ソクラテスの返答がおもしろい。
要するに、
「愚かな馬に蹴られたからといって、腹を立てるのか?」
というわけです。
強烈です。
でも、
これは単なる、
「他人の意見なんて全部無視しろ」
という話ではありません。
ここを間違えると、この文章のおもしろさが半減します。
哲学者は、他人の意見を「箱」に入れた
本文では、哲学が一つの「箱」を導入したと説明されています。
他人から、
「お前はダメだ。」
と言われる。
逆に、
「お前はすごい。」
と言われる。
普通なら、
その言葉がそのまま自分の中に入ってきます。
褒められたら喜ぶ。
けなされたら落ち込む。
でも哲学者たちは、
一度、その言葉を箱に入れた。
その箱の名前が、
reason=理性
です。
つまり、
「誰に言われたか」
「どんな言い方をされたか」
「みんながそう言っているか」
ではなく、
その意見は、本当に正しいのか。
を考える。
正しいなら受け入れる。
間違っているなら捨てる。
これです。
批判されたから傷つく必要はない。
これ、
ものすごく大切だと思っています。
人間は、
「批判された」という事実と、
「その批判が正しい」という事実を混同します。
でも、
まったく別物です。
例えば模試で、
英語が50点だった。
先生から、
「単語力が足りてないぞ。」
と言われた。
実際に単語が原因で長文が読めていない。
だったら、
耳が痛くても受け入れればいい。
単語を覚えればいい。
これは、
2+2=4
です。
ところが、
一生懸命勉強している生徒に、
誰かが、
「お前なんか、その大学に受かるわけない。」
と言ったとする。
では聞きたい。
その根拠は何ですか。
現在の偏差値?
残り期間?
過去問の得点?
必要な合格最低点?
科目ごとの伸びしろ?
そこまで分析したうえで言っているのか。
何もないなら、
それは意見であって、
事実ではありません。
共通テスト英語のfact opinion問題みたいですね笑。
「みんなが言っている」は証明にならない。
ここが2006年京大英語のおもしろいところです。
本文では、
数学が「良い思考」のモデルとして登場します。
数学なら、
結論だけ言ってもダメです。
前提があって、
論理があって、
そこから結論が導かれる。
だから、
「2+2=5です!」
と100人が叫んでも、
2+2は5にはなりません。
SNSで1万いいねがついても、
5にはならない。
偉い人が言っても、
5にはならない。
あなたの嫌いな人が、
「2+2=4だ!」
と言ったとしても、
やっぱり4です。
真偽と、発言者への好き嫌いは関係ありません。
これが、
「理性」という箱を持つ意味だと思います。
「2+2=5」を証明したがる人と議論するな!
そして本文の最後。
理性的に検討した結果、
自分が社会から不当に扱われていると分かったなら、
その評価を気にする必要はない。
それは、
2+2=5だと証明しようとしている混乱した人に出会ったようなものだ
という趣旨の話が出てきます。
これ、めちゃくちゃ好きです。
社会に出たら、こんな人いっぱいいます。話通じない。
一昔前でいう「バカの壁」ってやつです。
高校生の皆さんの周りもそんな人いるかもしれません。
例えば、
「E判定だから絶対無理。」
「その高校から難関大なんて無理。」
「そんな勉強法では絶対受からない。」
「お前には才能がない。」
世の中には、
いろんなことを言う人がいます。
そのたびに、
「いや、でも……」
「僕はこう考えていて……」
「この模試では……」
と、
全員を説得しようとする。
そんな必要ありません。
バカを論破するのに時間を使うな。
ちょっと強い言い方をします。
「2+2=5」を証明しようと躍起になる人を、相手にするな。
ここでいう「バカ」は、
偏差値が低い人という意味ではありません。
根拠を示しても考えを修正する気がなく、最初から結論ありきで絡んでくる人
という意味です。
これが重要です。
間違っている人と、
話が通じない人は違います。
間違っていても、
「なるほど。それなら自分が間違っていた。」
と言える人とは、
いくらでも議論すればいい。
むしろ、そういう人との議論は勉強になります。
でも、
何を言っても、
「いや、5だ。」
根拠を出しても、
「絶対5だ。」
最後には、
「みんな5って言ってる。」
もういい。
その人を4に連れてくることは、あなたの仕事ではありません。
論破しても、偏差値は1も上がらない
特に受験生には、
これを覚えておいてほしい。
SNSで知らない人と30分議論する。
友達に志望校をバカにされて、必死に言い返す。
学校の先生に否定されて、その言葉を一週間引きずる。
その時間で、
英単語、
何個覚えられましたか。
数学、
何問解けましたか。
過去問、
何ページ進みましたか。
あなたの目的が第一志望合格なら、
全員に自分の正しさを認めさせる必要なんてありません。
受かればいい。
ただし、「耳の痛い正論」まで捨てるな
ここは絶対に勘違いしてほしくありません。
「俺は他人の評価を気にしない!」
と言って、
都合の悪い意見を全部、
「2+2=5」
扱いする。
それは哲学ではありません。
ただの現実逃避です。
模試でずっとE判定。
過去問も合格最低点から100点足りない。
勉強時間も不足している。
先生から、
「このままでは厳しい。」
と言われる。
それに対して、
「他人の評価なんて関係ない!」
ではダメです。
重要なのは、
気に入らない意見を捨てることではなく、正しくない意見を捨てること。
だから、
「理性」という箱が必要なんです。
批判的受容が必要だ
大事なのは、
「批判的受容」
だと思います。
全部信じるな。
全部疑うな。
一回、考えろ。
先生が言ったから正しい。
親が言ったから正しい。
YouTuberが言ったから正しい。
塾長が言ったから正しい。
逆に、
嫌いな先生が言ったから間違っている。
それも違います。
誰が言ったかではなく、
何を言っているのか。
前提は正しいか。
根拠はあるか。
論理はつながっているか。
自分の状況に当てはまるか。
そこで判断する。
これこそ、
勉強によって身につけてほしい力です。
学力とは、「2+2=4を4だと言える力」でもある
私は、
大学受験の勉強には、
合格以外にも意味があると思っています。
英単語を覚える。
数学を解く。
現代文を読む。
それだけではありません。
物事を筋道立てて考える力を身につける。
これも勉強です。
周囲が、
「5だ!」
と言っている。
でも、
自分で前提を確認して、
論理を追ってみる。
どう考えても4だ。
だったら、
「4です。」
と言えばいい。
そして、
それでも相手が、
「いや、5だ!」
と騒ぎ続けるなら、
もう相手にしなくていい。
あなたには、
もっとやるべきことがあります。
最後に
他人から批判されたとき、
すぐ傷つかなくていい。
逆に、
すぐ反論もしなくていい。
まず、
「それ、本当?」
と考える。
正しいなら、
悔しくても受け入れる。
自分を変える。
間違っているなら、
笑って捨てればいい。
そして、
明らかに間違った前提から、
「2+2=5」を証明しようと躍起になっている人がいたら、
その人を論破するために、
あなたの貴重な時間を使わなくていい。
2+2が4であるために、
5だと言っている人の許可はいらない。
受験も同じです。
全員に、
「君なら受かるよ。」
と言ってもらう必要なんてない。
理解してもらわなくていい。
認めてもらわなくていい。
やるべきことをやって、合格点を取ればいい。
他人の評価は、
一度「理性」という箱に入れよう。
正しければ受け取る。
間違っていれば捨てる。
そして、
「2+2=5」を証明しようと躍起になる人を、相手にするな。
その時間で、
あなたは、あなたの人生を前に進めればいい。